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霜月(しもつき)は、日本海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の7番艦である。艦名は陰暦11月の雅称〔片桐, 347ページ〕。 == 艦歴 == 1941年(昭和16年)度(マル急計画)仮称第360号艦。三菱重工業長崎造船所で1942年(昭和17年)7月6日に起工され、1943年(昭和18年)4月7日に進水した。進水後は機関の搭載を待っていたが、製造が遅れていた〔遠藤, 212ページ〕。そこに、雷撃により艦首が脱落して7月5日に長崎に入港してきた秋月を復旧する際、当初は1944年(昭和19年)1月末に修理が終わるスケジュールが立てられていたが〔遠藤, 195ページ〕、復旧工事が急がれたため、75番フレーム(船首楼最後部)〔遠藤, 120ページ〕より前を切断し、秋月と結合させた〔。その甲斐あって、秋月は10月31日に修理が終わり、早期に戦列に復帰した〔。この工事の影響により、艦首はもう一度作り直されている。昭和19年3月31日に竣工した。 就役後、霜月は訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入される。瀬戸内海に回航され訓練に従事するも、引き渡し当初から砲塔の旋回が重すぎたため、4月4日から呉海軍工廠で修正工事を行う〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127100, pp.10,29〕。また、配属された乗員のレベルが極めて低い事も報告された〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127100, pp.29〕。4月7日から9日までは、第十一水雷戦隊の臨時旗艦を務めた〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127100, pp.12,14〕。5月8日、呉を出港して横須賀に向かい〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127100, pp.58〕、特別任務に就いた後〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127100, pp.50〕、駆逐艦夕凪とともに瀬戸内海に戻った〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127100, pp.68〕。6月6日付で第一機動艦隊(小沢治三郎中将・海兵37期)に編入され〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.12〕、次いで6月10日付で第十戦隊(木村進少将・海兵40期)に編入される〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.11〕。佐世保に回航され、第一機動艦隊宛の機銃その他の物件を搭載して佐世保を出撃する〔〔『第十戦隊戦時日誌』C08030724100, pp.14〕。6月14日、ギマラスへ進出途上の第一機動艦隊と合流し〔、6月19日から20日のマリアナ沖海戦に参加する。6月20日の邀撃戦では2機撃墜を報じ、被害なく切り抜けた〔。6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に柱島泊地に帰投〔。6月28日、駆逐艦若月とともに当時の連合艦隊旗艦である軽巡洋艦大淀を護衛して横須賀に向かった〔。横須賀に到着後、横須賀海軍工廠で機銃増備と13号電探の設置工事が行われた〔。 7月5日、霜月は若月とともに横須賀を出港し〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.7〕、呉に到着後は遊撃部隊乙部隊に加わり、戦艦長門、金剛、重巡洋艦最上を護衛して7月8日に呉を出撃する〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.4〕。乙部隊は沖縄本島に配備される陸軍部隊を中城湾で降ろし、次いでマニラで軍需品を陸揚げしたあと、7月20日にリンガ泊地に到着〔。マニラ停泊中の7月15日付で駆逐艦冬月とともに第四十一駆逐隊を編成する〔。リンガ泊地で訓練を行っていたが、8月4日に昭南(シンガポール)を出港するヒ70船団に加わって日本本土に向かった〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050900, pp.16,17 、駒宮, 220ページ〕。元水上機母艦衣笠丸(大阪商船、8,407トン)、タンカーのせりあ丸(三菱汽船、10,238トン)など8隻の輸送船とタンカーを護衛し、8月15日に門司に到着〔駒宮, 220ページ〕。その後、横須賀に回航され、第七基地航空部隊急襲部隊に編入される〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.57〕。横須賀方面で待機するもさしたる出番はなく、10月12日に冬月とともに大淀を護衛して横須賀を出港し、大分に向かう〔『軍艦大淀戦時日誌』pp.7〕。出港後間もなく、アメリカの潜水艦トレパン (''USS Trepang, SS-412'') の雷撃で冬月が艦首垂下の損傷を蒙り戦線離脱した。霜月は10月14日付で機動部隊本隊に編入された〔『第十戦隊戦時日誌』C08030039400, pp.20〕。 10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾のに上陸し、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は小沢中将率いる機動部隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった。10月20日夕刻、機動部隊は豊後水道を出撃。10月24日、戦艦伊勢、日向、第六十一駆逐隊(秋月、初月、若月)とともに前衛を構成し、夜襲を試みるも成果なく、夜半過ぎに本隊に合流した〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.36,39 、遠藤, 213ページ〕。だが10月25日朝、機動部隊は沖でついに第38任務部隊の艦載機による空襲を受けた(エンガノ岬沖海戦)。空母千代田に左後方に位置して第一波攻撃の艦載機を迎え撃ち〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.4〕、9時37分の空母千歳の沈没後は千歳の沈没位置にて千歳の乗員の救助を開始するも、第二波攻撃の艦載機飛来により中止となる〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.9〕。第三波攻撃では日向とともに再度千代田の援護を務める一方〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.11〕、千歳乗員の救助を再度試み121名を救助した後〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.12,21〕、日向とともに北方に向かった〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.13,14,15〕。17時26分、至近弾複数発を浴びて船体外板が損傷し、重油が流出した〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.16〕。2分後にはさらに至近弾二発を浴びて左に5度傾斜し、最大速力が31ノットに減少した〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.17,21〕。高角砲弾595発と機銃弾8,640発を消費し〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.18〕、人的損害を軽傷者2名のみにとどめて対空戦闘を切り抜けた〔『駆逐艦霜月戦闘詳報』pp.22〕。夜に入り、初月と軽巡洋艦五十鈴が敵艦隊と交戦中の報を受け〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.2〕、伊勢、日向、大淀とともに反転して再度夜襲を試みる〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.3〕。しかし、合流してきた若月からの報告により敵艦隊と入れ違いになった可能性があると判断され、北上した〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.4〕。10月26日朝まで敵艦隊を求めたがついに遭遇せず、奄美大島へ向かうよう指示される〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.5〕。10月27日に奄美大島に到着し、マニラ方面に進出する大淀と若月に弾薬を供給〔遠藤, 211、213ページ〕。10月28日に奄美大島を出港し、翌29日に呉に帰投した〔遠藤, 213ページ〕。10月29日から11月7日まで呉海軍工廠で修理が行われた〔。 11月4日、霜月は多号作戦支援部隊に編入される〔。次いで11月9日、五十鈴、駆逐艦涼月などとともに、南方に進出する伊勢、日向を護衛して門司を出撃した〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.53〕。11月17日に南沙諸島長島に到着して、からやってきた大淀、重巡洋艦足柄、羽黒、戦艦榛名などの艦艇と合流〔野村, pp.10〕。11月19日に伊勢、日向、榛名などとともに長島を出港し、11月22日にリンガ泊地に到着する〔。この間、五十鈴が11月19日にアメリカの潜水艦ヘイク (''USS Hake, SS-256'') の雷撃で損傷し、昭南、次いでスラバヤに下がって修理が行われる事となり、当時務めていた第三十一戦隊(江戸兵太郎少将・海兵40期)旗艦の任から外れる事となった。これに伴って11月22日付で第三十一戦隊に編入され、2日後の11月24日に第三十一戦隊旗艦となった〔。11月25日未明、駆逐艦桃を伴って昭南を出撃し、ブルネイ湾に向かった〔〔木俣『日本水雷戦史』587ページ〕。ところが、4時45分にの地点に差し掛かったところでアメリカの潜水艦カヴァラ (''USS Cavalla, SS-244'') の雷撃に遭った。カヴァラは目標を那智型重巡洋艦と判断し浮上攻撃で魚雷を4本発射〔「SS-244, USS CAVALLA」p.173,174〕、うち2本が命中し霜月は轟沈した〔。霜月の乗員のうち46名は桃に救助されたものの、駆逐艦長畑野健二少佐以下残る乗員全員が戦死〔、江戸少将以下第三十一戦隊司令部も全滅した〔。霜月は1945年(昭和20年)1月10日に除籍された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「霜月 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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